るでしょう。その性質をよく知って、その性質を皆承知しておいて、よいところばかりひろい集めて、悪いところはすてておいて、そしてよろずの人を思いやって暮らすにありと思う。
たとえて言うたら、教会長や、支部長や、分講長は、責任役員や、委員や教師や、信徒を思いやるにありと思う。また責任役員や、委員や、教師や、信徒は、教会長を、思いやるにありと思う。人の先頭に立つ人は、個人的の欲があっては教会内がもめる。責任役員や、委員や、教師や、信徒は、長の欲のために批判が始まる。その批判をするのを改良する心にもならずに責任役員や、委員や、教師や、信徒を、教会長が頭からたたきつける。さすれば責任役員や、委員や、教師や、信徒が、皆にげてしまう。そうなると、理からたたきつける教会長は、その教会にはいられなくなって、理から退かねばならんことになりますから、先頭者というものは、個人的の欲をやめな