この御言葉をただうか〜とよんで暮していたのではらちがあきませんよ。らちがあかねば家々はまっくらやみですよ。『やぶれちぎれてかけてゆくなり』とゆうことは、家族の者がしまいには、出直しする人もあれば、家をとび出す人も出てくれば、かんかこどくで道をやりながら、さびしい日暮らしをせねばならんことになるでしょう。
そこでめいく〜がりっぱな手本を出して、人様に、「お道をやっておる人は、何んとまあえらいものや」と世上からはめられて理の当然でしょう。それだのに周囲の人にいろいろな注意をされると、腹を立ったり、おれをばかにしゃがると、おこってみたり、どなってみたり、不足をいうたりしていると、しまいには一家の家庭の人にもあいそをつかされて、信徒もぼつ〜と寄ってこなくなって、あきや同然になる、ということや。この御言葉を思いあたる人は、道を正して向きを変えて、教えて通りの道をあゆんでいただきた