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/rinosatoshi/ - りのさとし 世界心道教

世界心道教について語り合います。


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る人は絶対に思い換えをして、欲にはなれて改良して、道にまい進してほしいと思う。わかったでしょう。  
​一六日 国床立之命様 おたがいにおもいやるりで おもわれる ☆ 九五四
           家もはんじょう 道もはんじょう 友引  七三八
                              二一一六 🦅  
​まったくのことと思います。  
​一七日 面足之命様 これからの みちのしだいというものは ☆ 一六五
          りにりがそうて なにかはんぜん 先負  八四九
                              三二七 🐀  
​ということは、どういうことであるならば、この「会田ヒデ」が、幼い時から仏教を学び、自分の家の家庭的事情から、どこかもっとしっかりと助けていただける道はないかと、朝な夕なにと、天照皇大神宮様へ願いをかけ、おる所から、ある人が訪れて来て、いろ〜とのお話を聞かしてくれて、それからその人といっしょに、お参りにやらしてもらった所が丹波市の天理教で
​いと、だめだと思う。  
​責任役員や、委員や、教師や、信徒に、自分の洗濯をさせたり、いろ〜な個人の用事をいいつけたり、道と個人をこんどんせぬようにしてほしいと思う。先頭者というものは、自分の教会の責任役員や、委員や、教師や、信徒を、自分の家へ雇い入れた奉公人のようなつもりで、人をこき使うということは、人のかしらには立てない消極的な人と思う。そういう人は一日も早くこの道から退去した方がよいと思う。  
​あちらへ行ってはだしやだしゃ、こちらへ行ってはがしゃがしゃ、「おまえがこうゆうことをいったから、おれはこうゆう運命になった」とゆうて、自分の悪いことは棚にあげて、親様をうらんだり、責任役員や、委員や、教師や、信徒を、あしざまにののしって、ひとりさびしく暮らしている、ということでは、先頭者とはいえないでしょう。こうした御言葉も、思いあた
​るでしょう。その性質をよく知って、その性質を皆承知しておいて、よいところばかりひろい集めて、悪いところはすてておいて、そしてよろずの人を思いやって暮らすにありと思う。
​たとえて言うたら、教会長や、支部長や、分講長は、責任役員や、委員や教師や、信徒を思いやるにありと思う。また責任役員や、委員や、教師や、信徒は、教会長を、思いやるにありと思う。人の先頭に立つ人は、個人的の欲があっては教会内がもめる。責任役員や、委員や、教師や、信徒は、長の欲のために批判が始まる。その批判をするのを改良する心にもならずに責任役員や、委員や、教師や、信徒を、教会長が頭からたたきつける。さすれば責任役員や、委員や、教師や、信徒が、皆にげてしまう。そうなると、理からたたきつける教会長は、その教会にはいられなくなって、理から退かねばならんことになりますから、先頭者というものは、個人的の欲をやめな
から旅をさせられているのでございますから、ひるまずゆまず、あいかわらずで旅を続けておりさいすれば、いつか天からみとめられて、神様が人間にいり込んで、『長年の旅をしている、あの子供を、おまえが救ってやってくれよ』と人間と思いうかばしかしてくださるその時が、長年の旅をしていた人が救い上げられる時でございますよ。そこで、ここに運んでくる人は、苦労のしどうしでおっても、この台が天に願っておりますから、み月か半年もすれば、みんなこきれいになって運んでおられるでしょう。見る人が見ればわかるでしょう。そこで理ということも、わかったでしょう。
​一五日 大戸辺之命様 おおぜいの ひとのかしらに たつひととは
           よろずのひとを おもいやるよう 先勝 ☆
八四三
六二七
一九五 🐕
​この道の人は、皆大ぜいの人のかしらに立つ者ばかりが、天から寄せてあるのでございますよ。ですから、いつの時でもいろいろな性質の人があ
ておりますが、これも仕方がないと思っております。  
​なぜならば、人間の親でも子供が苦しんでいる姿を見て、嘆かれれば身の皮はいいでも、子供を助けずにいはない親ばかりでしょう。なれど世界中は皆天の子でしょう。子が親を助けるということは、あまりないようでございますねい。文句なしに親様親様とつくしてくださる人は、真の心から、ありがたく思っておりますが、助かりたいために、仕方なしにつくしていてくださる人のことは、あまりありがたくはありませんねい。  
​つくしも運びもしないでおいて、文句ばかり言っている人は、こちらもあまり眼中にはありませんでねい。天の御言葉の中に、人間のことを、『目の中へいれても、いたくないほどかわいいわが子』と仰せくだされてありますが、まったくそのとおりだと思います。世の中でよく言う「かわいい子供には旅をさせろ」とよく言うておりますが、あまりうだつの上がらん人は、天
​この御言葉をただうか〜とよんで暮していたのではらちがあきませんよ。らちがあかねば家々はまっくらやみですよ。『やぶれちぎれてかけてゆくなり』とゆうことは、家族の者がしまいには、出直しする人もあれば、家をとび出す人も出てくれば、かんかこどくで道をやりながら、さびしい日暮らしをせねばならんことになるでしょう。  
​そこでめいく〜がりっぱな手本を出して、人様に、「お道をやっておる人は、何んとまあえらいものや」と世上からはめられて理の当然でしょう。それだのに周囲の人にいろいろな注意をされると、腹を立ったり、おれをばかにしゃがると、おこってみたり、どなってみたり、不足をいうたりしていると、しまいには一家の家庭の人にもあいそをつかされて、信徒もぼつ〜と寄ってこなくなって、あきや同然になる、ということや。この御言葉を思いあたる人は、道を正して向きを変えて、教えて通りの道をあゆんでいただきた



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