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第6章:ヴィヤーサ

幼少期と神聖な起源

ヴィヤーサは、ヴェーダ・ヴィヤーサ、またはクリシュナ・ドヴァイパーヤナ・ヴィヤーサとしても知られ、ヒンドゥー伝統において最も尊敬される聖仙の一人です。彼は世界文学における最長かつ最重要の叙事詩の一つであるMahabharata(マハーバーラタ)の編纂者として知られ、またヴェーダをまとめ上げた人物としても称えられています。

ヴィヤーサの誕生は神話に包まれています。彼は聖仙パラーシャラとサティヤヴァティーの子として生まれたとされ、島で生まれたことから「ドヴァイパーヤナ(島生まれ)」という名を持ちます。

ヴィヤーサの神聖な起源は多くの文献で強調されており、彼はヴェーダを整理・保存するために地上へ現れたヴィシュヌ神の化身とされています。彼の幼少期は厳しい精神修行と、知識およびダルマ(正義)の追求への深い献身によって特徴づけられていました。

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ヴェーダの編纂

ヴィヤーサのヒンドゥー教への最も重要な貢献の一つは、ヴェーダの編纂です。膨大なヴェーダ知識を保存する必要性を認識した彼は、ヴェーダを四部門に分けました。

* Rigveda(リグ・ヴェーダ)
* Yajurveda(ヤジュル・ヴェーダ)
* Samaveda(サーマ・ヴェーダ)
* Atharvaveda(アタルヴァ・ヴェーダ)

この大事業によって、ヴェーダの賛歌・儀式・哲学が体系的に学ばれ、未来世代へ伝承されることが可能になりました。

ヴィヤーサの編纂作業は、単に賛歌を整理するだけでなく、儀礼・詠唱・哲学的論考など、知識を異なる分野へ分類することも含んでいました。この区分により、ヴェーダはより理解しやすくなり、その保存と普及が促進されました。

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マハーバーラタ

ヴィヤーサによるMahabharataの著述は、彼の最も称賛される業績です。この叙事詩はクルクシェートラ戦争と、カウラヴァ兄弟・パーンダヴァ兄弟の運命を描いています。

『マハーバーラタ』は単なる歴史や神話ではなく、ダルマ(正義)、政治、倫理、人間関係についての包括的な指南書でもあります。

この叙事詩には、Bhagavad Gita(バガヴァッド・ギーター)が含まれています。そこではクリシュナが戦士王子アルジュナに霊的知恵と導きを授けます。

『ギーター』は深遠な哲学的・神学的問題を扱っており、ヒンドゥー思想と霊性の礎となっています。ヴィヤーサは『マハーバーラタ』を通じて、義務・正義・人間存在の本質に関する時代を超えた教えを伝えました。
プラーナ文献とその他の著作

ヴィヤーサは、ヴェーダやMahabharataに加えて、神話・伝説・歴史物語を含む宗教文学ジャンルであるプラーナ文献の編纂者としても知られています。

彼に帰される代表的な文献には以下があります。

* Vishnu Purana
* Shiva Purana
* Bhagavata Purana

これらの文献は、それぞれ異なる神格や主題に捧げられています。

ヴィヤーサのプラーナへの貢献は、広範な精神的・文化的知識を保存し広める助けとなりました。これらの文献は、宇宙、創造の歴史、神々や聖仙たちの物語を理解するための包括的な枠組みを提供し、ヒンドゥー教の精神的・文化的遺産を豊かにしています。

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哲学と教え

ヴィヤーサの哲学的教えは、彼の文学作品に深く織り込まれています。彼はダルマ(正義・正しい生き方)、知識の探求、そしてバクティ(献身)の実践の重要性を強調しました。

彼の著作は、現実・自己・神性の本質を探究し、人間存在と精神的解放への道について深い洞察を提供しています。

ヴィヤーサの教えは、世俗的義務と精神的探求を調和させた、バランスの取れた人生を提唱しています。彼は内なる純粋さ、自己鍛錬、そして神への揺るぎない献身の重要性を説きました。

その物語を通して、ヴィヤーサは人間の感情や人間関係の複雑さを描き、人生の困難を知恵と誠実さによって乗り越える指針を示しました。

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神秘的な力と伝説

ヴィヤーサの神秘的力や神聖な遭遇に関する伝説は、ヒンドゥー伝統の中で数多く語られています。

有名な伝説の一つでは、ヴィヤーサがガネーシャに『マハーバーラタ』を口述し、ガネーシャがそれを書き記したとされています。ただし条件として、ヴィヤーサは語る途中で一切止まってはならなかったと言われます。

このヴィヤーサとガネーシャの協力は、ヴィヤーサの超人的能力と神聖な使命を象徴しています。

ヴィヤーサはまた、恩恵や呪いを授ける力を持つ存在としても崇敬されています。神々・聖仙・王たちとの交流の物語では、彼は対立を解決し、神聖な知恵を授ける仲介者・導師として描かれています。

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ヴィヤーサが授ける祝福

ヴィヤーサに祈る信者たちは、人生のさまざまな面で加護を求めます。彼は以下のような祝福を授けると信じられています。

1. 知恵と知識
    ヴィヤーサは深い知恵と文学的才能によって崇敬されています。信者たちは知性と精神的洞察を高めるために彼の祝福を求めます。
2. 精神的成長
    ヴィヤーサの教えは精神的成長と自己実現を重視しています。信者たちはより高い意識状態へ至るため、彼の知恵を求めます。
3. 正義と徳
    ダルマに関する彼の教えは、人々に正しく徳ある人生を送るよう促しています。信者たちは倫理的行動と誠実さを育むため、彼の加護を願います。
4. 守護と導き
    ヴィヤーサは導きの師として崇敬されています。信者たちは困難を乗り越え、勇気を得て、人生の試練を不屈の決意で進むために彼の祝福を求めます。
5. 調和ある人間関係
    ヴィヤーサの物語は、人間関係とその複雑さを深く描いています。信者たちは私生活や仕事上の関係における調和と洞察を得るため、彼の祝福を求めます。

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遺産と影響

ヴィヤーサの影響は広範かつ深遠であり、ヒンドゥー教の精神的・哲学的・文化的基盤を形成しました。
第7章:サッタムニ

幼少期と背景

18シッダの一人として尊敬されるサッタムニは、シッダ医学と精神的教えへの深い貢献で知られています。

彼の幼少期についての詳細はほとんど残されていませんが、タミル・ナードゥ州に生まれ、その地域の豊かな精神的・医学的伝統から強い影響を受けたと考えられています。

医学・錬金術・霊性の研究に対するサッタムニの献身は若い頃から際立っており、それが後の偉業の基盤となりました。
文学・哲学・精神修行に対するヴィヤーサの貢献は、世代を超えて数え切れない人々に霊感を与え続けています。学者・修行者・信者たちは、彼の著作を学び敬い、その影響がインドの精神文化と伝統に今なお深く息づいていることを示しています。

ヴィヤーサは、その生涯と教えを通じて、知恵の変革力と、人間が持つ無限の悟りの可能性を示しました。

彼の遺産は、自己発見の旅を歩む人々への灯火として存在し続け、神聖なるものへ至る深遠で時代を超えた導きを与えています。
お酒をやめて欲しい相手がいる時はお酒を神様にお供えすると飲まなくなってくると教えられました。
お酒以外でも効果があります。
第7章:サッタムニ(Sattamuni)続き(38ページ)

サッタムニによって授けられる祝福(続き)

1. 健康と癒し
    サッタムニは健康、治癒、幸福を授ける存在として崇敬されています。信者たちは、彼の恩寵によって病が癒やされ、活力が増すと信じています。
2. 精神的成長
    サッタムニの教えは精神的成長と自己実現に重点を置いています。信者たちは内なる平和と悟りを求めて、霊的な道における導きを願います。
3. 知恵と知識
    医学と霊性に関する深い専門知識によって、サッタムニは知恵と洞察の源として尊敬されています。信者たちは知的理解と精神的理解を深めるため、その祝福を求めます。
4. 保護と導き
    サッタムニは守護者であり導師として崇められています。信者たちは困難を乗り越え、勇気を育み、自信と決意を持って人生の試練に立ち向かうために彼の加護を求めます。
5. 倫理的な生き方
    サッタムニのダルマ(正しい生き方)に関する教えは、人々が高潔で徳ある人生を送ることを促します。信者たちは倫理的行動と道徳的誠実さを育むために祝福を求めます。

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遺産と影響
サッタムニの遺産は、シッダ医学とタミルの霊的伝統の中に深く根付いています。医学、哲学、精神修行への彼の貢献は、今日でも実践者や信者たちに影響を与え続けています。サッタムニの教えは、その深遠さと知恵によって高く評価されており、インドの精神文化と伝統に残した永続的な影響を示しています。
第8章:ダンヴァンタリ(Dhanvantari)

生い立ちと神聖な起源

ダンヴァンタリはアーユルヴェーダの神として崇拝されており、ヴィシュヌ神の化身であり神聖な医師とされています。

ヒンドゥー神話によれば、ダンヴァンタリは「乳海攪拌(サムドラ・マンタン)」の際に、アムリタ(不死の霊薬)の壺を手にして海から現れました。この神聖な誕生は、彼が健康と長寿をもたらす存在であり、人類のために医療知識を授ける使命を託されたことを象徴しています。
アーユルヴェーダの父
ダンヴァンタリは広く「アーユルヴェーダの父」として知られています。彼の教えはこの包括的な医療体系の基礎を形成しました。アーユルヴェーダ(「生命の科学」の意)は、心・身体・精神の調和を重視する全人的な健康法です。
彼は予防医学、適切な栄養、そして健康維持のための生活習慣の重要性を強調しました。また、治療に用いられるさまざまな植物、薬草、鉱物を分類し、外科手術の技術や方法も発展させたとされています。彼の洞察は人体の機能と、アーユルヴェーダの中心概念である三つのドーシャ(ヴァータ・ピッタ・カパ)の相互作用にまで及んでいます。
主要な医学文献

ダンヴァンタリの知識と教えは世代を超えて受け継がれ、多くのアーユルヴェーダ文献に記録されています。

彼に帰される最も重要な文献の一つが 『ダンヴァンタリ・ニガントゥ(Dhanvantari Nighantu)』 です。これは薬学に関する包括的な書物で、多数の薬用植物とその治療効果について記しています。この文献は現在でもアーユルヴェーダ実践者にとって貴重な資料であり、薬草や鉱物の性質と応用に関する洞察を提供しています。

もう一つの重要な貢献として 『スシュルタ・サンヒター(Sushruta Samhita)』 が挙げられます。これは弟子スシュルタによる著作とされる外科医学の古典であり、多様な手術技法、器具、手術手順について詳述しています。この書物は、ダンヴァンタリの解剖学、外科学、そして医療における清潔さと衛生の重要性に関する深い理解を示しています。
哲学的・倫理的教え

ダンヴァンタリの教えは医学知識だけにとどまりません。哲学的・倫理的原則も包含しています。

彼は自然との調和を保ち、身体・心・精神の健康を促進する生活を送ることの重要性を説きました。バランスの取れた食事、定期的な運動、精神修養を健康な人生の重要な要素として提唱しました。

倫理面では、慈悲、謙虚さ、無私の心の重要性を教えました。彼は治療者には医学知識だけでなく、苦しみを和らげたいという思いやりの心が必要であると考えていました。これらの原則は、今日でもアーユルヴェーダの実践者たちを導き続けており、医療の道徳的・倫理的側面を強調しています。

ダンヴァンタリのアーユルヴェーダへの貢献には、病気の分類法、診断法、治療法の体系化が含まれます。

神秘的な力と伝説

ダンヴァンタリにまつわる伝説は、彼の神聖な起源と治癒能力への卓越した力を強調しています。

有名な伝説の一つでは、彼がアムリタ(不死の霊薬)の壺を携えて乳海攪拌から現れたと語られています。これは健康と生命力の永続性を象徴し、人類に不死の霊薬をもたらすという神聖な使命を示しています。
またダンヴァンタリは奇跡的な治療を行う賢者としても描かれています。彼は薬草や医薬に関する深い知識を用いて病を治し、人々の健康を回復させたと伝えられています。これらの伝説は、彼の神との深い結び付きと、精神的・自然的エネルギーを治癒のために活用する能力を物語っています。
ダンヴァンタリによって授けられる祝福
ダンヴァンタリに祈る信者たちは、健康や幸福に関するさまざまな祝福を求めます。ダンヴァンタリは次のような恩恵を授けると信じられています。
第8章:ダンヴァンタリ(Dhanvantari)続き(42ページ)

ダンヴァンタリによって授けられる祝福

1. 健康と癒し
    神聖な医師として、ダンヴァンタリは健康・治癒・幸福を授ける存在として崇拝されています。信者たちは彼の恩寵によって病が癒やされ、全体的な活力が高まると信じています。
2. 長寿と生命力
    ダンヴァンタリは不死の霊薬アムリタと結び付けられています。信者たちは長寿、活力、健康な人生を得るために彼の祝福を求めます。
3. 知識と知恵
    アーユルヴェーダに関する深い専門知識によって、ダンヴァンタリは知恵と理解の象徴として尊敬されています。信者たちは医学知識と精神的洞察を高めるために彼の加護を求めます。
4. 病気からの保護
    ダンヴァンタリは病気や苦しみに対する守護者とみなされています。信者たちは健康を守り、病を予防するために彼の祝福を祈ります。
5. 心と精神の健康
    ダンヴァンタリは教えの中で心・身体・精神の統合を重視しています。信者たちは精神の明晰さ、感情の安定、そして霊的成長を得るために祈ります。

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遺産と影響

アーユルヴェーダとインドの精神文化の基盤に深く織り込まれた存在として、ダンヴァンタリの遺産は今日でも医学、哲学、精神修行の分野に影響を与え続けています。

彼の教えは数え切れないほど多くの実践者や信者にインスピレーションを与え、その深遠な知恵によって高く評価されています。ダンヴァンタリがインドの精神文化と医療に与えた永続的な影響は明白です。

彼の生涯と教えは、全人的健康と人間の幸福の無限の可能性を示しています。導きの光として、その遺産は癒しと精神的成長を求める人々に、健康と神聖な知恵への時代を超えた道を示し続けています。
第9章:コンガナール(Konganar)

生い立ちと背景

コンガナール(別名コンガン)は、18人のシッダの一人であり、錬金術、医学、ヨーガの卓越した知識で知られています。

彼はタミル・ナードゥ州のコング地方に生まれました。幼少期からシッダ医学と精神文化の豊かな伝統の影響を深く受けて育ったとされています。

これらの学問の研究と神秘的知識の探求に身を捧げたことが彼の若き日の特徴であり、それが後の偉大な業績の基礎となりました。
* シッダ医学(Siddha Medicine)の大家
    * 錬金術(Alchemy)
    * 薬理学(Pharmacology)
    * 鉱物や薬草を用いた治療法
    * 医薬品の調製法
* ヨーガの教え
    * クンダリニー・ヨーガ
    * 瞑想
    * 呼吸法
    * 精神的覚醒
* 哲学・倫理思想
    * 自己鍛錬
    * 物質的生活と精神的生活の調和
    * 真実・慈悲・謙虚さ
    * 神への献身
* 神秘的な功績
    * 超自然的な力
    * 癒しの能力
    * 自然界の要素を操る力
    * 高度な霊的達成

内容を読んで気付く点

1. 文章構成が非常に定型的
    これまであなたが見せてくれたページ(プラスティヤ、ヴィヤーサ、サッタムニなど)と同様に、
    * 生涯・背景
    * 功績
    * 哲学
    * 神秘的能力
    * 信者が得る祝福
    * 遺産と影響
    という同じパターンで書かれています。
2. 出典が示されていない
    コンガナールはシッダ伝統の重要人物ですが、このページでは歴史的根拠や原典名の提示がほとんどなく、伝承と歴史的事実が区別されていません。
3. 学術書というより紹介文に近い
    学術的な本であれば、
    * 原典名
    * 成立年代
    * 写本
    * 異説
    * 研究者の見解
    などが示されるはずですが、この文章は人物紹介や信仰的解説に近い印象です。

一部抜粋の訳

Yogic Teachings(ヨーガの教え)

コンガナールのヨーガへの貢献は非常に重要であり、特にクンダリニー・ヨーガの実践と、そのエネルギーの覚醒を通じた霊的悟りの達成を重視した。彼の教えは瞑想、呼吸法、内なる平安の育成について詳細な指導を与え、身体・心・精神の調和を目指している。

Mystical Achievements(神秘的功績)

コンガナールの遺産は、並外れた神秘的能力と深い霊的悟りの物語に満ちている。彼は自然の力を操り、奇跡的な治癒を行ったと伝えられている。
コンガナールが授ける祝福」

信者はコンガナールに祈ることで、次のような祝福を得られるとされています。

1. 健康と治癒
    * シッダ医学の達人として、健康回復や病気治癒の加護を与える。
    * 病を癒し、活力を高めると信じられている。
2. 精神的成長
    * 精神的向上と自己実現を助ける。
    * 内なる平安や悟りへの導きを与える。
3. 知恵と知識
    * 医学と霊性に関する深い知識を授ける。
    * 知的・精神的理解を深める助けとなる。
4. 保護と導き
    * 障害や困難を乗り越える力を与える。
    * 勇気と忍耐力を授ける。
5. 倫理的な生き方
    * 正義と徳に基づいた人生へ導く。
    * 道徳心と誠実さを育む。

⸻

Legacy and Influence

「遺産と影響」

コンガナールの遺産はシッダ医学とタミルの精神文化に深く根付いており、その教えは今日でも医学・哲学・霊性の分野に影響を与えている、と述べられています。

また、

* 規律ある修行
* 知識の追求
* 精神的成長

の重要性を示した人物として評価されていると締めくくられています。
Early Life and Spiritual Journey
「生涯と精神修行」

ゴーラクナート(ゴーラクシャナートとも呼ばれる)は、ナート派(Nāth tradition)で最も尊敬される聖者の一人と紹介されています。

* ハタ・ヨーガを重視するナート派の代表的人物
* シヴァ神の化身と考えられている
* 11~12世紀頃に生きたとされる
* 幼少期には神秘的な力を備えていたという伝説がある

Hatha Yoga and Yogic Teachings

「ハタ・ヨーガとヨーガの教え」

ゴーラクナートの最大の功績として、

* ハタ・ヨーガの体系化
* 普及への貢献

ハタ・ヨーガには

* アーサナ(坐法・ポーズ)
* プラーナーヤーマ(呼吸法)。
* 瞑想

シャットカルマ(Shatkarma)

六つの浄化法についても説明されています。

例として

* Neti(ネーティ)
    * 鼻腔の浄化
* Dhauti(ダウティ)
    * 消化器の浄化
* Basti(バスティ)
    * 腸の浄化

クンダリニー・ヨーガ

についても、

* クンダリニー・エネルギーを目覚めさせる方法
* 厳格な修行と倫理が必要

Philosophical and Ethical Teachings

「哲学と倫理思想」
ゴーラクナートの思想は

* 『Goraksha Samhita』
* 『Goraksha Paddhati』
* 『Siddha Siddhanta Paddhati』
* ハタ・ヨーガ
* 自己の本質
* 解脱への道
を説き、
タントラ・シヴァ教・仏教などの要素を統合した思想である、と述べています。

が含まれ、身体と精神を浄化し、解脱へ導く修行法とされています
ゴーラクシャナートの教えの中心には自己実現(Self-realization)があります。それは神との合一の境地に到達することを意味します。

彼は内なる純粋さ、自己規律、そして師(グル)への揺るぎない献身の重要性を説きました。

また彼は、真実・非暴力・慈悲・謙虚さなどの倫理的徳を重視し、人々が日々の生活の中でそれらを育むよう勧めました。

ゴーラクシャナートはさらに、物質的な所有欲や世俗的な欲望から離れることの大切さを教えました。彼は、真の解放とは自我を超越し、自らの内に宿る神性を悟ることによってのみ得られると説いています。

⸻

神秘的な力と伝説

ゴーラクシャナートにまつわる数々の伝説は、彼が神秘的な力を自在に操り、高度な霊的境地に達していたことを伝えています。

彼は奇跡的な治癒を行い、自然界の力を操り、深い瞑想(三昧)の境地に入る能力を持っていたとされています。

これらの神秘的な能力は、神との深い結びつきと、ヨーガ修行の卓越した完成度を示しています。

有名な伝説の一つでは、彼が死者を蘇らせたと語られています。また別の伝承では、天候を操り、その他の超自然的な奇跡を行ったとも伝えられています。

これらは自然界と霊的世界に対する深い理解を象徴しています。

さらに彼は、肉体的限界を超え、高次の意識状態へ到達する力を持っていたとも信じられています。

彼の深い瞑想実践と精神的洞察は、多くの求道者に自己実現と神との合一を目指す道を示してきました。
ゴーラクシャナートが授ける祝福

ゴーラクシャナートに祈る信者は、人生のさまざまな面で祝福を求めます。

彼は次のような恩恵を授けると信じられています。

1. 精神的成長

ゴーラクシャナートの教えは精神的成長と自己実現に重点を置いています。

信者は霊的修行の導きを求め、内なる静寂と悟りを得るために彼へ祈ります。

⸻

2. 健康と幸福

ハタ・ヨーガの偉大な師として、健康・癒し・幸福を授ける存在として崇敬されています。

その恩寵は病を癒し、全体的な健康を高めると信じられています。

⸻

3. 知恵と智慧

ヨーガと霊性に関する深い知識により、彼は知恵の象徴として尊敬されています。

信者は知性と霊的理解を深めるため、その祝福を求めます。

⸻

4. 守護と導き

ゴーラクシャナートは守護者であり導師でもあります。

信者は困難を乗り越え、勇気を養い、人生の試練に揺るがぬ決意と忍耐をもって立ち向かえるよう祈ります。

⸻

5. 執着からの解放と心の平安

彼は物質的欲望から離れ、内なる静けさを得ることを教えました。

信者は心の満足と霊的充足を育むため、その祝福を求めます。

⸻

遺産と影響

ゴーラクシャナートの遺産は、ハタ・ヨーガとインドの精神文化の豊かな伝統の中に深く根付いています。

彼の深遠な教えは、ヨーガ・哲学・霊性修行の分野に大きな足跡を残しました。

その知恵と深さによって、多くの修行者や探究者にとって今なおインスピレーションの源となっています。

彼の生涯は、厳格な修行と悟りへの絶え間ない探求の象徴です。

その影響はインド文化と精神世界に今もなお色濃く残り、自己探求と霊的成長を志すすべての人々にとって、時代を超えた道しるべとなっています。
第11章 マチャムニ(続き)

(53ページからの続き)

マチャムニは、師(グル)と神への揺るぎない献身を重視しました。また彼の倫理的教えは、真実・非暴力・慈悲・謙虚さを実践し、それらの徳を日常生活の中で育むことの必要性を説いています。

さらにマチャムニは、物質的所有や世俗的欲望への執着を手放すことの重要性を教えました。彼は、真の解脱とは自我を超越し、自らの内に宿る神性を悟ることによってのみ得られると説いています。

⸻

神秘的な力と伝説

マチャムニにまつわる伝説は、彼が神秘的な力を自在に操り、高度な霊的境地に到達していたことを物語っています。

彼は自然界の力を操り、奇跡的な治癒を行い、深い瞑想(三昧)の状態に入る能力を持っていたと伝えられています。

これらの神秘的な力は、神との深い結び付きとヨーガ修行の卓越した完成度を示しています。

最も有名な伝説の一つでは、深い瞑想中に巨大な魚に飲み込まれ、その魚の腹の中で神聖な智慧を授かったとされています。

この物語は、彼が瞑想を通して精神世界へ深く没入し、偉大な叡智を得たことを象徴しています。

また彼は、肉体的な限界を超え、高次の意識状態へ到達する能力を持っていたとも信じられています。

彼の深い瞑想と霊的洞察は、多くの求道者に自己実現と神との合一への道を歩む勇気を与え続けています。
マチャムニが授ける祝福

マチャムニに祈る人々は、人生のさまざまな面で祝福を求めます。

彼は次のような恩恵を授けると信じられています。

1. 精神的成長

マチャムニは霊的成長と自己実現を重視しました。

彼の教えは、信者が内なる平安と悟りへ向かう旅において、その導きを求めるよう促しています。

2. 健康と幸福

ハタ・ヨーガと錬金術の達人として、健康・治癒・幸福を授ける存在として崇敬されています。

その恩寵によって病が癒され、生命力が高まると信じられています。

3. 知恵と智慧

ヨーガと霊性に関する広大な知識によって、マチャムニは深い知恵と理解の象徴として尊敬されています。

信者は知性と霊的洞察を深めるために、その祝福を祈ります。

4. 守護と導き

マチャムニは守護者であり導師でもあります。

信者は障害を乗り越え、勇気を得て、人生の試練に強さと忍耐をもって立ち向かえるよう、その祝福を求めます。

5. 執着からの解放と心の平安

執着を離れることを説くマチャムニの教えは、人々が物質的欲望を超越し、内なる平安を見出すことを促します。

信者は心の満足と霊的充足を育むため、その祝福を祈ります。

⸻

遺産と影響

マチャムニの永続的な影響は、ハタ・ヨーガとインドの精神文化の伝統全体に深く浸透しています。

彼のヨーガ・哲学・霊性修行への重要な貢献は、今日でも修行者や信奉者たちにとって大きな導きとインスピレーションの源となっています。

その深遠な知恵によって、彼の教えはインドの精神文化と文化遺産の形成に大きな役割を果たし続けています。

生涯を通じてマチャムニは、規律ある修行がもたらす変容の力と、真理を求め続ける不断の探究心を体現しました。

彼の遺産は、自己探求と精神的成長を目指すすべての人々の道を今も照らし続け、内なる平和と悟りへ向かう旅に、時代を超えた知恵と深い洞察を与え続けています。
第12章 カルヴラル(Karuvurar)

生涯と霊的修行

カルヴラルは18人のシッダの一人として知られ、シッダ医学、錬金術、そして霊的修行における深い知識で名高い人物です。

彼の幼少期はタミル地方で過ごしたとされ、そこでシッダ医学と霊性の豊かな伝統から大きな影響を受けました。若い頃からこれらの学問への並外れた献身を示し、後の偉業の礎を築きました。

カルヴラルの霊的探求は、厳しい修行と飽くなき知識への探究心によって特徴づけられていました。彼は古代の聖典を深く学び、卓越したシッダや賢者たちの教えを受けることで、自然界と霊的世界への理解を深めました。

シッダ医学への貢献

カルヴラルは、特に錬金術と薬学の分野での貢献により高く評価されています。

彼の医学書は総称して『カルヴラル・ナーディ(Karuvurar Nadi)』と呼ばれ、多くの病気の治療法が記されています。これらは薬草、鉱物、その他の天然物質の利用を重視しています。
カルヴラルの医学は、

* 身体
* 心
* 精神

の相互関係と身体エネルギーの調和を重視する、非常に包括的な医療体系でした。
彼の代表的な業績の一つは、水銀化合物を医薬品として調製・利用する技術です。彼は水銀や様々な金属を精製する方法を開発し、高い効力を持つ薬剤を作り出しました。

錬金術と薬学における彼の知識は、後世のシッダ医学へ大きな影響を与えました。

彼の医学書には、

* 病気の診断法
* 食事療法
* 予防医学
* 適切な栄養
* 定期的な浄化(デトックス)

なども詳しく記されており、健康維持への総合的なアプローチが示されています。
哲学と倫理の教え

カルヴラルの教えは医学だけに留まらず、深い哲学と倫理にも及びます。

彼は、

* 自然との調和
* ダルマ(正しい生き方)
* 精神と物質の均衡

を説きました。

カルヴラルの思想の中心には、

自己規律(Self-discipline)

と

内なる純粋さ(Inner Purity)

があります。

彼は、

規律ある心と身体こそが霊的成長と究極の解脱に不可欠であると説きました。

さらに、
真実
慈悲
​◎ 昭和四十一年十一月八日午後十二時五十分御書き取り
二月の心得につき御言葉御願い  
​一日 面足之命様(そうじした ところをあるき たちどまり そのところより かんろうだいを 先負) ☆
三八七
一六二
五四九
                      
ということは、大正十二年の末から昭和十三年三月の十と三日までのことを、「そうじしたところを、あるきたちどまり」ということやそうな。「そのところより」ということが、昭和十三年から昭和十七年の十二月二十三日までのことが、最初に月読之命様、国狭土之命様、二社の神様が天降りあり、それから五ヵ年間の間、「幕へ幻燈を写すようなもの」と仰せくだされて、身上者や事情者の人のことを、幻燈でお助けをさしていただいてまいりまして、昭和十七年の十二月の二十三日に、あとの八社様天降りあり。
その中で五社の神様先に天降りあり、最後に三社様天降りあり、十社の神様御そろいになった時が、そのところよりこの「会田ヒデ」が、皆様方が願われることを天に伺うて、道あけのことを皆さんにとりつぎしていたゞくことが、『そのところより甘露台を』ということやそうな。  
​ そしてだん々ひとり、ふたり三人と寄り集まって、昭和十年となりまして皆様の願われることについて、天より天佑をくだされ、『てんゆう』とは御利益のこと。そしてありがたい、ありがたいでこの道に協力してくだされたお陰にて、昭和四十年度の暮れに、普請が始まり、現場の普請と心の理の普請と共にやらしていただいてきょうの日でございますが、これから先も今まで通りに御利益をいただきつつ、協力をしていただきとうございますということが、天との「会田ヒデ」と皆さんと、『三点龍頭一つのみにかゝっている』と天で仰せでございますが、
​ お互様は、親様月日様、八方様の御利益で、皆様方の協力で万ごう末代助けていたゞく、なくてはならん本部と、なくてはならん十社様と、皆様方と三つ一つになって、世上助けにまい進していただいて、皆めいく〜が心のそうじにいそしんで、暮らすことが大切と思う。  
​ この道の信仰にはいらしてもらって、一つの教会や支部を持たしていただいて、教会長や支部長や、分講長や、責任役員や、委員や、教師になるまでの間をさして、『そうじしたところを、あるきたちどまり』ということが、日夜人様を導かしてもらった功徳によって、一つのしるしを持たしていたゞけた、ということが、そのところより親様月日様、八方様とこの台の心を受けて、世上助けにまい進して、親様月日様、八方様の理を取り次いで、信徒さんをたくさんかくとくすることをさして、そのところより甘露台様、すなわち十社様の理を取り次ぐことを、『そうじしたところを歩き立ちどまり、そ
のところよりかんろうだいを』ということやそうな。よくわかったでしょう。  
​二日 国狭土之命様(どのような からきしんぱい みえたとて
 なにもこわみな あぶなげもない 仏滅) ☆
四九八
二七三                          六五一  
​ ということは、何事によらず心配事があったら、いつでも本部に運ばしていただいて、その心配事を天からといて聞かしていただいて、帰宅をしておられたら、何も心配することはないでしょう。腹の中で心配事を考えて、いくら人間が心配をしていたとてどうにもならんのだから、正気づいて本部に運ぶにあると思う。ある書物を読んで、いつなん時どんなことになってくるかと、心の中をちぢみあがらしているようなことでは、お道を聞かしていただいた価値がないでしょう。  
​ 人間の世界、人間の世であったら、人間同志が心配をせねばならんが、神様の世界で、神様の世であるのだから、心配は一つもないと思いますねい。
皆様方が、「親様月日様」と御願いをされれば、いつも利益をいただいておられるでしょう。それだから、何も一事が万事心配をして世渡りをしている必要はないと思いますねい。それですから、『どのようなからき心配みえたとて、何もこわみなあぶなげもない』と仰せくだされてあるのですよ。いつの時でも、ない世界、ない人間を御造りくだされてある世上、ということをよく〜悟ってごらんんなさい。  
​ なぜならば、あなた方のおなかへ赤ちゃんを宿らしくださるでしょう。そこで、子供を『宿しこむのも月日なら、生まれ出すのも月日せわどり』と仰せくだされてあって、ない世界、ない人間を生まれ出さしてくだされてある、ということは、よくわかるでしょう。人間の力で十月十日の間に五輪五体をそろえて生まれさしてくだされてあることだけでも、よくわかるでしょう。妊娠中に一家の家庭がごた〜して、ほこりを積んでいると、五輪五体
​りと思う、ということや。わかったでしょう。  
​三日 月読之命様(おたがいに 節分祭を よくさとれまめではたらく ことであるなら 大安) ☆
五一九
三八四                       七六二  
​ 天も勇んで守護くださることやから、節分祭ということは、せつの分かれめであって、日々心配事をくり返して、ふるえていることと、心があたたかくなって、家族がそろってえ顔で暮らすこの心を、ということが節分祭になぞらえて、豆まきをやっているでしょう。四方八方へ気くばり、目くばりさせてもらって商売をやらしていただく理の姿が、まめで働く、ということやそうな。  
​ 「福は内、鬼は外」というていたとて、家々でつの突き合いをしていたら福が舞いこんできそうなことはない。鬼のような心を追放しながら、福は内鬼は外となえれば、天から心どおりの守護をしてくださる、ということや
​四日 雲読之命様(いつつるぞ なんのひがてる なにゆえか このせいしんの みちをしらねば 赤口) ☆
 六二一
四九五                        八七三  
​ ということは、このお道を聞かしていただいてからは、皆さん方の心を天が受け取って、うつりし理をうつし返ししていてくだされて、天のみ心になった心を天へ供えておればこそ、家々も明かるくなり、つくし運びもできにおいがけもしさせてもらい、教師になってお助けもでき、そしてどこからどこまでも人様に敬まい、とうとばれるような心の持ち主になった時が、親様月日様、八方様のありがたいがわかった時、天から入信していない人のことを、『いつつるぞ、なんのひがてるなにゆえか』と仰せくだされてあるのですから、皆さんは一人も多く導いてやらんと、天の月日親神様が、『親として子供の苦労を見るにしのびん』と仰せくだされてありますとおり、においがけや、お助けをさしていたゞかんと、天の御心が日々休まらんことになり
そこで年男だとか、年女だとか言うているでしょう。これは鬼門の年の人、八方ふさがりの年の人、病門の年の人のこと。この節にお互様は、心を徐行して暮らしていきさいすれば、その年は無難で暮らせる、ということや。  
​ お互様に、横目ふらずに、ということは、道草くわずに、理というものを心でねってということは、よりかけてということや。そしてどんなけわしい山道でも、ということは、どんな苦労でも心配事でも、運んで聞かしていただいて、理というものを杖として暮らさせていただくことを、天の御言葉の中に、『横目ふらずによりかけて、ほうてのぼれよ理をつえにして』と仰せくだされてあるのでございますから、親様月日様、八方様ということを、たえず安心して暮らすにありと思う。理を杖にして、ということは、運んで聞かしていただいているでしょう。そのみ教えを守っていくことをさして、理をつえにして、ということですよ。わかったでしょう。
​ますから、においがけや、お助けをした人を一人もおとおさんよう、信徒さんを修理して、信徒さんの家を花ざかりに導いてやって、実のりをたっぷりあたえてやってもらえば、おのづと信徒は、それからそれいとふえてくる。というこの精神が天のみ心のかなって、大きな働きがさしていたゞけるのだと天でいつも仰せくだされてあることを、『いつてるぞ、なんの日がてる、なにゆえか、この精神をよくしらねば』と仰せくださる御心の御言葉でございますから、皆様も心の改良をしながら、つくしも運びもやりながら、においがけお助けにまい進していただきたいと、いつも天が地上のありさまをながめて、台と天と八方様と皆さんと、せつなる願いと思う。  
​ これからもなお一層しっかりと、お道にふんばりください、ということやわかったでしょう。
五日 惶根之命様(ぜんあくを みわけすすめて なにもかも よろずたすかる ことになるから 先勝) ☆
七三二
五一六                           九八四  
​ ということは、善悪の見さかいなきときは、たとえていうたら、皆様よ、無二の親友だとか、あれは遠縁にあたる親戚だとか、またはあれは昔から知っている人だからというて、人というものをむやみに信用して、「この人はおれに金を借りる受け判になってくれというているけれど、おれには迷惑をかけるような人ではないだろう」と、うっかり受け人になって、はんを押し・て三年五年とたつうちに、人間には「この人を受け人にしておいて、先になったらおれはどこかへ借りた金も返さずに高とびをして、受け判をしてくれた人の財産を、おれの借金のかたに払わしてやろう」というような、悪のりょうけんはないでしょうけれど、いきがかり上事業に失敗して、赤字になってどういうふうにやりくりをしても、とうていおっつかなくなったというて
どこかへ行方不明になる。そうこうしているうちに、受け判をした人のところへいきなり差し押えがくる。金が払えなければ競売にする、というようなとんでもない災難がまい込んでくる。  
​ お互様に前生に相手方に借金をしておいて払わずに世を去ったり、払わずに夜逃げをしたり、いろ〜な因縁が積んであったとしたら、その借財を返さにゃならん因縁があるから、たのまれりゃ受け判でも何でもして、前生の借金を返さにゃならんとあせって受け判をするようになったり、前生に泣かしてある女に出会うと、ごきげをとって返さにゃならん理がでてくると、二号でも三号でもやたらもって早く因縁を切って、せい〜しようと思って一生懸命にはたしにかかる。  
​ それからまた『人間というものはどこから生まれてきたのやら、どこへ死んで行くのやらあとさき知りたる者はない』と仰せくだされてありますとお
​り、前生の因縁の深い者ほど因縁はたしがきれないと、生まれながらにし
てごく悪因縁を積む人もあれば、前生のごく悪因縁をはたすために、一生懸
命にいそいで、あっちこっちと因縁切りに歩く。この因縁切りに歩く人が家
を外にして、家族の者から見れば悪いことばかりしているように見えますが
『親子となるは深き因縁』とも仰せくだされてありますとおり、『一家族と
いうものは、同じ因縁を寄せて守護してある』とも仰せくだされてあります
から、お筆先の中に、『この世は、りいでせめたる世界なり、なにかよろづ   
は、歌のりでせめる(家々の言葉の理)』とありますし、『せめるとて、手出しするではないほ
(家々でろんのすえ、事情がおきてくるということや)
どに、口でもいわん筆先のせめ』とありますとおり、これから先もなお一層
この世の中の善悪の見分け心にして、理から因縁を自覚して暮らすにありと

思う。そこで日夜心して、心のじじょうをふみならしてかよい道(本部のこと)という。そ
してよろず助けていただきましょうねい、ということや。わかったでしょう
​六日 大食天之命様(おたがいに のむ物きるもの はなすものよろづたすかる ことであるから 友引) ☆
 八四三
六二七                           一九五  
​ ということは、のむというたら現場では、水とか、お茶とか、ジュースとか、昆布茶とか、かき氷とかアイスクリームとか、いろ〜飲むものはあるでしょう。  
​ そこで一家の家庭というものは、皆親子、兄弟、夫婦、孫、しゅうと、しゅうとめ、小じゅうとというように、みず知らずの他人はいないでしょう。これが【みず】それだから家族の者の話しを共に語り合って、だめにするようなことでは、お茶を飲んでいて理のわからん人、お互様に喜んで日暮らしをさせてもらうが【昆布茶】。【かき氷】とは、家々でへだて心を使って、あの子はこの子は、あのおやじは、この案内は、あのしゅうと、あのしゅうとめ、あの小じゅうとは、この子供は、この孫は、この嫁は、というてお互
に、にらみ合って冷たい心の持ち主という言葉の理が、かき氷という。  
​ お互様に愛しあって、喜びあって、一つの苦労も共にさしていただいてわになって暮らしていただくということが【アイスクリーム】という。そこで、何事によらずゆずりあって暮らしてゆくという、何事によらずすべてじゅんずるという心、これすなわち【ジュース】という。  
​ 着る物という着る物はもめん、お互にめんめんが気をもまんようにする理で、【きもめん】を着ている理、いろ〜な着物もたくさんあるでしょう。いち〜言うたらきりのないことでございますが、【かすり】というたら、天からいろ〜な物を貸し与えてくだされて、人間からは借り物で、理というものをわからしてもらって、各自の家庭が軒を並べている姿が、かすりの理の姿。【しま柄】は、天から天降りの理の姿。  
​ 【横段】は、皆様方が家庭をもって一列に暮らしている理の姿。
​鶴の柄でも、きっこうでも、着せていただいておっても、理がわからなかったら着ている価値はありませんでねい。  
​ 世の中でよく言う「鶴は千年、亀は万年」というていれどもこの心、悟りがのうては何もわかりませんねい。心の改良に専念して暮らしてもらえばいつまでもいつまでも万ごう末代御連れ通りくださる、という理の姿。  
​ 【きっこう】の姿は、手足をつっつ付けば引っ込め、頭をつっつ付けば、引っ込めして、へだてのない心をさして、べっこの取り扱いをせぬという心がまえが、天から見られて万ごう末代見落としはないから、低い優しいすなおな心の持ち主になって、はい〜で暮らしてゆけよ、との御心の理の姿。  
​ 【山】の姿は、高い心になると、めったに人が寄りつかなくなる、という理の姿。  
​ 【波の柄】は、心に波うつなよ。静かな心で平らに進めよと【川】の姿。
【花の柄】でもそのごとく、姿ながめてよく悟るにありと思う。  
​ お互様に話すものということは、声のかけようで自分の心にぴったりとはまるような返事が、先方からいただけるのでございますが、こちらの声のかけ方が違っている時は、腹立たしい喜べない言葉を返してくれますから、声のかけようも日々研究して、日々お暮らしくさい、ということや。こういうことも、日々に心して暮らさしていだくけば万事助かる、ということや。心のかての一つですから心して日々お暮らしください、ということや。わかったでしょう。  
​七日 大戸辺之命様(かちまけの しょうぶごとおは やめにせよ りからそんする ことになりては 先負) ☆
九五四
七三八                          二一六  
​ いかんから、天から人間へ御注意くださるのであって、人間が勝負事をやっていると、損をするようなことになってはだめでしょう。そこで親様の二
​十年の道中に、いろ〜勝負事で損をしたことを、見たり聞いたりして
おりましたが、勝負事をして損をすると、前に損をした元金を取り返そうと
思って、だん〜と深みにはいって行って、しまいには家を抵当に入れたり
地所を売ったりして、皆損をして目をさまさずに、家内の生活費を腕力で家
家の者を泣かして勝負事に持っていく。また中には家庭内のいろ〜な道具
を持ち出して売り払って勝負事に使っている人も、中にはたくさんあるよう
に思いますが、とにかく家々に何んにもないようになって娘を売りとばした
り、男の子はあいそをつかして家に寄りつかなくなったり、家内はおやじに
離婚をせまって出ていってしまう。一家の家庭がどどのつまりは、破壊して
しまうようなことにもなる。  
​ また家内や子供と一家むつまじく暮らしていればよいものを、二号三号と
持ち歩いて家内の方には仕送りをしなくなって、二号三号の方で暮らしてい
​るうちに、にっちもさっちもいかなくなって、みすぼらしい姿をして一号の
ところへもどってくる。家内や子供にさげしめられて、自殺をとげる人もあ
る。これ皆勝負事のようなものなれば、天の御言葉の中に、『万里の道も一
歩から』と仰せくだされてありますとおり、ふみ出しのかゝりが大事ですか
ら、一家の家庭で不平不満を共に語り合って、不平不満のないようにして暮
らしてゆけば、二号、三号も、もたないですむし、勝負事もしないですむよ
うになりますから、一家族が和合して、豊かな道を通らしてもらうよう心し
てお暮らしください。  
​ さすれば理から結構になりますし、勝負事や、二号、三号をもって家庭を外
にすると、軌道からはずれた脱線者になりますから、家々の者から理から排
せきされるようなことになりますから、しっかりと心してお暮らしください
ということや。わかったでしょう。
​八日 岐 様 おやこでも りというものが なかだちや  りからなかよく くらすことなら 仏滅    ☆
一六五
八四九                          三二七  
​ ということは、皆さんここのところはよく聞きわけてくださいねい。この道はうらはらの道とゆうて、前生親子であれば、親が先に死んで子供の子供(孫)にな                って生まれてきて、前生の姿そのままに現わすものであって、これを理が仲立ちという事ですよ。それだから女の子であれば、男親と非常に仲良く暮らす者もあり。また男の子であって母親と仲良く暮らすもありで、そこでせがれが嫁をもらって、親とせがれが仲がよすぎて、嫁をお手伝いさんのようにむやみやたらとき使って、親とせがれが嫁を目下に見下してどなる、ふてる、たたく、親子で夫婦気取りで、嫁さんは日々まご〜おど〜して暮らしている家庭も、たくさんあるようでございますねい。  
​ また嫁さんとむこさんが、はたの見る目もうらやましいくらい、仲良くと
​おる若夫婦、その姿を見て、嫁を見て、父親がやきもきするもあり、養子を迎えてしゅうとめがやきもきするもあり、また孫としゅうと、しゅうとめが仲良く暮らすもあり、嫁が子供をざんこくに扱うもあり、子供が親をざんこくに扱うもあり、何しろ前生の姿そのままに今世現わしているのだから、ようするにしゅうとめが嫁をひどいめにあわしていると、今度はしゅうとめが孫になって現われてきて、その孫が嫁にひどいめにあっている。これが理が仲立ちであるから、前生の因縁と自覚して、嫁が子供を愛していくのが理が仲立ち、ということや。それから子供もこの道を聞かしていただいて、「前生このおれがこのおっかさんをひどいめにあわしたから、今世ひどいめにあわされるのだから、理が仲立ちだから、たたくおかあさんを自分が悪かったから、今たたかれているのだ」と、喜んで母親に感謝して暮らさしていただくという心がけが大切と思う。これで理の仲立ちと、うらはらの道ということがよくわかったでしょう。一つ聞いたらいっさいが、かたきをとって
うとことがよくわかったでしょう。一つ聞いたら一さいが、かたきをとって
とられて暮らしていく世の中の理の姿というものですよ。そこでお互が因縁
を自覚して仲良く暮らすにありと思う。よくわかったでしょう。  
​九日 美様(おたがいに いっちだんけつ たいせつや 
 ともにたすかる みちをもために 先勝) ☆
二七六
九五一                         四三八  
​ 皆さんは、本部に運んでおりながら、教会の信徒なら教会に協力するが理
の当然でしょう。それにもかかわらず一致団結力を忘れてしまって、十年も
前に本部から出張した先生の口車にのって、自分のつごうのよいことを言わ
れて、その気になって同じようなグループをこしらえて、教会から脱線して
かってな行動をとっていた人が、今から店をたたんで暮らさにゃならんよう
なはめに落ち入ったり、【腎臓結石】を煩ったり、【尿道結石】になったり、
または【胃潰瘍】になったり、または【腰抜け】になったり、あるじが病気
​になったり、娘が病気になったり、せがれにがみ〜言われたり、支部をや
めるとゆうてみたり、いくら願っても、【小児まひ】が御利益がいたぐけな
かったり、親様を向こうにまわして、あくたもくたにののしったりしておっ
た本部の先生も、理から本部にいられなくなって、ひとり、ふたり、三人四
人、五人、六人、七人、八人というように、不足不足で暮らしていると、理
から本部を出ねばならんようになって、今はさかんに苦しんでいるそうな。
本部から出た先生のおきみやげで、四、五十人ぐらいの信徒が皆身上にかか
って困っているそうな。それでも、お道をやめていないから、どうにかこう
にか御利益はいただいておるそうな。  
​ なれど職業の方も位が下がって門番となって、【胃潰瘍】を煩って、ざん
げして御利益をもらって帰宅をされましたが、親様を向こうにまわしてあく
たもくた言うておいて、何んにも知らん顔をして、ただ身上になったから
​「御利益をいただきとうございます」と訪れてこられても、こちらはあまり
よい気持ちはしませんが、それでも、「助けてくれ」と尋ねてくる者をほっ
てもおかれない。かわいそうな人だと思って面会をして御利益をいただいて
帰宅してもらったようなわけでございますが、
​ 『これから教会や本部に協力するというて軌道にのる心になって一致団結
して道をやれば助かるし、今までのような道を通っていると助からんことに
なるだけですから、どちらでもごずいいに』と申しましたところ、「しっか
りやらしていただきます」というて地方にもどられましたがあ、助けていただ
く道を求めにきておりながら、ちょっとしたはずみに、つまらん人の口車に
のらんよう心してお暮らしくさい、ということや。わかったでしょう。
​一〇日 国狭土之命様(おたがいに みちやるひと やらんひと えんりょきがねは おおけがのもと 友引)☆
三八七
一六二                           五四九
​ということは、お互に教会や、支部や、分講に、この道の協力している人
は何もいうことはないが、道をやっていながら道をやっていない人がたくさ
んあるように思いますが、皆さんはいかがでございますか。教会や、支部や
分講に、運んでいる信徒の中にも、道につかしていただいておりながら、道
をやっていない人は、一家の家庭に身上や事情が続出している。この身上や
事情が続出している家庭のことを、『大けがの元』という。  
​ ある教会のある人が、信仰にはいらしてもらう時に、腹の中にいちもつも
って、先になったらこうもしよう、ああもしよう、その時はおれも一つ金も
うけをしよう、という心で本部に来ていたことが、きょうの日になってよく
わかりましたが、自分の思いが通らんために、親様を、「あのくそあまめ今
に見ていろ、おれが祈り殺してくれる」というて、言いふらして歩いている
人も二、三あるそうな。なれど親様には矢がたちませんよ。なぜなれば、い
​かにあくたもくた言われても、そんなことはおかまいなしに、『そのあくた
もくた言うている人を、助けてやっていただきとうございます』と無事をお
祈りしている親様ですから、あくたもくたを言うてこちらに弾丸を向けてお
りますが、自分で打った弾丸のはね返りを受けて、今はものすごく生活難に
追われて、その日暮らしの日暮らしをやっておりながら、こちらに向かって
身上や事情が苦しくなると、今まで願っていたくせがあるから、むが夢中で
道もあげずに、ざんげもしずに願い通しているから、天から仕方なしに御利
益をくだされておる御慈悲のほどさも知らずに、このお道をやめてつくしも
せずに、運びもしずにむやみやたらと願ったら、御利益をもらったというて
赤い舌をべろりと出して、こんなうまいことはないと、妙味をむさぼって暮
らしている人も中にはたくさんあるそうな。  
​ いろ〜と天から聞かしていただいておりますが、まったく人間ほど始末
の悪いものはありませんねい。今世肉体のある間は、それでも通れるでしようが、御言葉の中に、『今世この道の理を用いずに、あくたもくたで日暮らしをして、腕力で願うて御利益をいただいておる人は、こんどの世には何んになるともわからん』と仰せくだされてありますが、『まったく困った者や』といつも天に願いをかけている親様でございますよ。皆さん方はこれからもひるまずたゆまず、この道をやりらしてもらって、身上事情という大けがのないようにお暮らしください、ということや。わかったでしょう。  
​-27-  
​一一日 月読之命様 ひかんして はらをたったり たたせたり ☆ 四九八
                              二七三
            こまりものやと なげきくどきは 先負 六五一 🐎  
​天の受けとりはありませんよ。親様から言わせると、悲観してあくたもくたにののしって、腹を立ったり立たせたりして暮しているよりは、早く運たにののしって、腹を立ったり立たせたりして暮している、心のもっていき方を切り変えて、暮していけば
​『困りものやと、嘆きくどき』を天に供えて暮していると、今世の嘆きが相手方に、また来世嘆かれることになるのですよ。ですからからこの世の中は、『命を取ったり取られたり、腹を立ったり立たせたり、生まれ変わり死に変わり、何年いたとて同じことやってになあ』と仰せくだされてあるのでございますから、見るもの聞くものざんげして、お互様にまよいのうちどめいたしましょう。  
​とにかく親様月日様、八方様ということをお忘れなく、心のじしょうをふみならしてかよい道とゆう。本部や、教会や、支部や、分講や、責任役員や委員や、教師や、信徒と共に、たばになって助け合って、暮していただきましょうねい、ということや。わかったでしょう。


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